友意白雑記帳

だいたい自分用の覚え書き

「なんで弱者や無能を助ける必要があるのさ?」への回答

よくあるテーマですが、ここらで一度、考えをまとめてみようかと思いまして。

回答1.社会に必要or不必要の線引き問題

「一定以下の無能や、社会にもたらすデメリットの方が大きい人達は、残念だが切り捨てる。」という考え方が社会通念になったとしましょう。この場合、人類のほぼ全員が、何らかの意味で「その存在は、社会には不要、むしろどっちかというと害悪!」という烙印を押されてしまうでしょう。人類は、同輩の欠点を見つける能力に非常に長けております。低IQだから、低体力だから、仕事が遅いから、身体障害があるから、65歳以上だから、チビだから、デブだから、ハゲだから、体臭が嫌だから、喫煙者だから、異常性癖だから、精神科の受診歴があるから、幼少期にいじめに加担した前科があるから、親族に凶悪犯がいるから、ユダヤ人だから、資本主義に毒されているから、旧時代的な高等教育を受けているから、眼鏡をかけているから、多様性に対して消極的な態度だから、etc、、、。一度でも、ある種の人間を積極的に切り捨てる事を容認すると、切り捨てるべき人間の定義は際限なく広がっていく恐れがあります。友が首切られ、明日は我が身、というやつです。

この種のシナリオが行きつく最終段階→悪の天才科学者「人類はこの地球には不要、全て滅ぼし、私の創造した機械生命に文明を明け渡す!」(極端な例ですが。)最終的に人類滅亡を是とする可能性があるような考え方には、やはり賛同できないのです。

回答2.ホモ・サピエンスの品種改良のリスク

「家畜や農作物では優れた品種を優遇して品種改良するのが当たり前。人類=ホモ・サピエンスにもこれを適用して何が悪い?」という主張に対する反論。この手の品種改良には「想定した目的・条件が消失した場合、その生物種は一転して絶滅の危機に瀕する。」というリスクが存在します。そもそも、ある生物種のある形質が「優れている。」という主張は、それが置かれた条件に強く依存しています。家畜や農作物なら、要するに、人間にとって好都合な条件の下で、生存を許されている訳です。

例としては、カイコガ(絹糸出してくれる虫)、サラブレッド(競馬のあれ)、アスペルギルス・ソーヤエ(お醤油作りに欠かせない菌)あたりが挙げられます。これらの品種は人間が長年かけて品種改良してきました。その代償として、野生回帰能力は失われているか、かなり減殺されています。もし何かの拍子で人類が絶滅し、野生の秩序に放り出された場合、これらの生物種も絶滅してしまう可能性が非常に高い。

さて、現代において「人間にとって好都合な人間の形質」とは何でしょうか?色々ありますが、仮に「仕事が早いし正確」な形質を優遇して、その形質がどんどん強くなるよう、ホモサピを品種改良したとしましょう。しかし「現代の仕事」がその実、「水・ガス・電気・ネットなどのインフラが整備されたオフィスで、パソコン等を使った作業」を想定していたとしたら?そこまで限定的でなくとも、ある程度の文明の中での活躍だけを想定したものだったとしたら?地震や破局噴火で文明的インフラが麻痺したら、品種改良されたホモサピは、活躍の前提条件を奪われ、一転して絶滅のピンチに陥ります。このような「予測不可能な環境変化」に対するバックアップとして、色々な形質を生物種の中でプールしておくことが重要になるのです。

昔読んだSF小説で、生まれついて目が見えない主人公が活躍する作品がありました。作中では、ある種の超新星爆発(?)の光が地球にも届き、目が見える普通の人たちは、それを天体ショーとして楽しみます。しかしその光には失明効果があり、人類のほぼ全員が盲人となってしまう。そんな中、視覚情報に頼らず活動することを、生まれついて強いられてきた主人公とその仲間達が、社会の混乱を収めるべく奮闘する、という内容。これは「先天的な視覚障害」という、普通に考えたらデメリットでしかない形質が、有利に転じる環境変化の一例といえます。