友意白雑記帳

だいたい自分用の覚え書き

メモ集『暇と退屈の倫理学』國分功一郎

新潮文庫版を読み進める中でメモしたこと。

p.20 打ち込むべき仕事を外から~ ラッセル
p.25 余裕を得たらやってみたい何かなど持っているのか?
p.33 パンだけではなくバラも求めよう。
p.34 大義のために死ねる人々を、我々は恐ろしくもうらやましいと思うようになっている。 ジュパンチッチ
p.45 ウサギ狩りに行くのは何故?
p.52 熱中できるものには、負の要素が要る。退屈する者は苦しみを求める。
p.58 平和で何も起こらない世界、血や汗や涙を知らない世界。
p.61 何かぼんやりとした不幸。 ラッセル
p.62 原因が分からない、逃れようがない。
p.63 ラッセル対ハイデッガー。犬猿の仲。
p.64 この二人が、同時期に同じ危機感を抱いていた。
p.65 今日と昨日を区別してくれる事件を望む気持ち、これが挫かれたものが退屈である。 ラッセル
p.66 人は楽しいことなど求めていない。興奮を求めている。
p.70 ラッセルの幸福の秘訣には、しかし何かが足りない気がする。 著者
p.71 ラッセルの幸福論の欠陥。作り上げるべき新世界が無いのなら、不幸になるしかないと?(ニーチェと同様)
p.75 新世界の建設もウサギ狩りも同じ。不幸に憧れてはならない。 著者
p.79 著者「消極的な解決策は、解決策でないことがしばしばだ。」スヴェンセンの回答に対して。
p.80 ロマン主義を捨てるだけで、退屈を解消できるとはとても思えない。
p.84 生きることは退屈との戦いである。←オレ:「現代を~」は不要か?

p.86 西田正規「定住革命」 人類の定住はおよそ1万年前から(オレ:割と最近だな!)。それ以前は狩猟採集を軸とした遊動生活。
p.91 日本の縄文文化は、食料生産の技術を"持たない"定住生活者たちによってはぐぐまれた。食料生産は定住生活の"結果"であって、原因ではなかった。
p.93 むしろ定住する方が食料に困る。
p.94 定住&農耕牧畜は1万年前に中緯度帯にて。森林が拡大して、大型獣が減少。それ以前の700万年間は狩猟採集だった(オレ:長い!)。
p.95 貯蔵は移動を妨げる。
p.96 定住開始からの1万年間、色々あり過ぎ!
p.99 排泄行為を我慢することほど辛いものは無い。ごもっとも!
p.103 定住→退屈を回避する必要に迫られるようになってしまった。
p.105 定住→退屈対策→文明

p.108 だがパスカルよ、人間が~
p.119 暇と退屈はどう違うのか?
p.122 有閑階級=暇であることを許された階級、ここにヒントがあるかも。
p.132 品位あふれる閑暇 ヴェブレン
p.138 余暇すらも資本主義社会のパーツ。
p.139 労働者に無理を強いることはかえって不都合。余暇を与えるべき。
p.143 工場の外でも"休暇"という形で働かなくてはならない。
p.146 余暇を与えられたとして、何をする?→レジャー産業。
p.147 自分の欲望を広告屋に~ ガルブレイズ
p.152 ガルブレイズの提案は、しかし同時に、仕事においてこそ人は充実していなければならないという強迫観念を生む。
p.154 著者「そしてガルブレイズよ、よく聞け。君こそが~」

p.156 現代では同じ型では売れない。必要の無いモデルチェンジが繰り返される。
p.159 非正規雇用は現代の消費=生産スタイルの要請から。
p.161 日本の1980年代、「差異が消費される。」とさんざん言われた。なぜ無策のまま?←そもそも理解が決定的に不足していた。「退屈を、暇を、どう生きるか?」という問いを立てるべきであった。