友意白雑記帳

だいたい自分用の覚え書き

夢も希望も無い人生の歩み手へ

あなたこそ、真の勇者です。そしてあなたは、わたしに勇気を分けてくれました。本当にありがとう。

あなたについて

あなたは男性でしょうか?女性でしょうか?それとももっと複雑な性認識をお持ちでしょうか?
年齢はおいくつでしょうか?お生まれはどこでしょうか?
お仕事はされていますか?辛いお仕事でしょうか?
健康を崩してはおりませんか?もしかしたら、大変なご病気と闘っている際中でしょうか?
ご結婚はされておりますか?ご家族はいらっしゃいますか?あるいは、たったひとりで、これまで懸命に生きてこられた方でしょうか?

すみません。できれば直接お会いして、互いの身の上を語り合いたいのですが、ここでは叶いません。しかし、あなたが何者であれ、私にとっては真に勇気ある方とお見受けする、この点は変わりませんので、ご安心下さい。

あなたの人生について

この記事にて巡り合ったのならば、おそらく、あなたはご自身の人生に「夢、希望、救い、幸福、栄光、賞賛、自己肯定、ごほうび、逆転のチャンス、等々」といった甘美な要素は、一切見出していないのでしょう。

尚、もしあなたの中に「生きていれば、そのうち、もう一度くらい、良いこともあるかも。」という希望が一握りでも残っているのなら、ココ以下の文章をお読みいただく必要はありません。それは本当に素晴らしいことです!その希望が現実になることを、心から祈っております。

しかし、あなたが真に、夢も希望も救いも無い人生の歩み手ならば、もうしばらく、拙文にお付き合いいただければ幸いです。

お伝えしたかったこと

本当にありがとう。

あなたは、絶望しか見いだせない人生の中で、それでも命を投げ出さずに、ここまで生きていてくれた。おかげで、わたしは感謝の意をお伝えすることができました。

感謝の理由

理由その(1)。わたしはかつて、研究者として名を馳せることで、歴史上に永遠に名を刻まれるような存在になりたいと願い、生き急いでいました。就中、驕り高ぶっておりました。そのために、人生における他の要素を軽んじ、無視してきました。しかし、これを書いている時点から10年ほど前に、ようやく自分の能力の底が見え、希望は絶望に反転しました。それ以降、自分の人生を降りたいと考えることも増えました。
夢も希望も無い人生しか残っていないのに、まだ生きている意味は?そう考えたとき、あなたのような存在を思うことが、踏みとどまる力をくれました。「わたしと同じ絶望を抱えながら、それでもまだ歯を食いしばって、人生を歩み続けている者がいる。彼らこそ真の勇者である。わたしも、もう少し勇者の真似事に興じてみよう。」
完全にヒガミですが、仕事が楽しかったり、優しい家族がいたり、確固たる使命を担っていられる人々の人生は、ある意味ではイージーモードです。だって「生きる意味がちゃんと存在してくれている」のですから。
これの対極にあるのが、あなたのような場合です。つまり、そんな好意的要素なんぞ一切無い、破滅的な難易度の人生でも、それを投げ出さないでいられる。自分の命を、自分で勝手に終わらせないで、最後まで生ききる。たとえ一切の光が差さなくとも、そうする。それは、本当の勇気の持ち主にしか、できないと思うのです。
究極の絶望ですら、あなたを殺すことはできなかった。そんなあなたの勇気が、わたしを勇気づけてくれました。ありがとう。

理由その(2)。この記事もそろそろ終わりますが、あなたは最後まで目を通してくださいましたね。あなたは絶望の中にあって、しかし、この記事を読むために、その命をしばし永らえて、時間を取ってくれた。わたしの文章が、誰かを、ほんのわずかでも、生き永らえさせる役に立った。その事実は、わたしにとってとても誇らしく、嬉しいことです。本当にありがとう。

むすびに

わたしもあなたも、今生ではもう、良いことには巡り合えないと感じている。しかしそれでも、あなたなら、最期の瞬間まで命の灯を投げ出さず、守り続けられると信じています。